【清宮幸太郎選手は山本大貴さんの成績を超えるか?】
どうもエイトです。
関西は天気がとても良いです。
本日は、早稲田実の3年の清宮幸太郎内野手が話題です。
と言いますのも、
愛知の小牧市民球場で行われた第2試合、
愛知・享栄戦で、ソロ本塁打を放ったことで、
高校通算本塁打を100号の大台に乗せたからなんです
高校時代に100号の大台に乗せるというのは、
かなりの凄いことなんです。
これまでの歴代最多は、
兵庫の神港学園の山本大貴さんの107本。
今回、清宮選手が100本の大台で史上2人目となりました。
このまま山本さんの記録も塗り替えてしまうのか、
今後の清宮選手に注目です。
ちなみに、この清宮の歴史的な快挙で
同時に山本大貴さんも注目されております。
どのような経歴の方なのか、
現在はどのような仕事をされているのか、
調べてみました。
【現在の山本大貴の職業はJR西日本社員】
現在の山本さんですが、年は22歳。
JR西日本の社員として
「みどりの窓口」で働いております。
笑顔がよく似合う鉄道員で、
仕事もテキパキとこなしているようです。
現在でも現役で野球をやっているかと思いましたが、
昨季限りで現役を引退しております。
高校卒業後は社会人野球のJR西日本で
4年間プレーをしておりました。
引退した際も、悔いはないというコメントもあります。
そして、現在は、JRで働くとともに、
私生活では、昨年9月に結婚もしております。
今年の2月には赤ちゃんも生まれているそうです。
名前はの歩武(あゆむ)くん。
「今、幸せを感じるのはどんな時ですか。」
という質問には、
「家に帰って子供の顔を見た時です。
いつか、言われるのかな。
『パパの名前、清宮の下におるやん』って」
自分の記録が塗り替えられるかもしれないところですが、
素直に清宮選手にエールを送っています。
「清宮君には、超えてほしい。
これから日本球界を背負っていくような選手になる。
抜いてもらって、活躍してもらった方が、僕もうれしいです。
はよ、抜いてくれよと(笑い)。
108本目は甲子園で打ってほしい。みんな見られるから」
野球は、引退したのものの、
幸せに楽しく過ごしているようで何よりです。
その山本さんの過去の経歴を振り返ってみました。
【山本大貴さんの過去の経歴】
<生まれから中学まで>
出身は淡路島。
生年月日は1994年6月27日。
小学校2年生から野球を始めた。
中学では軟式でプレーし、そのころから世間で注目を集めていたようです。
(中学時代は部員18人ほどの小所帯でプレーしていた)
実際に、中学校時代に数校から誘いを受けて、
最終的に、当時、甲子園通算8度の出場を果たしている神港学園への進学を決めた。
進学の決め手は、
神港の試合を見ていたら『雰囲気が楽しそうやな』と思ったから、
ということで母親に無理を言って、
私立に進学させてもらったとのことでした。
<高校時代>
入学当初は体重110キロ。
神港学園は100人を超え、
硬式出身の選手との競争も激しく、
トレーニングによって、
夏までの3か月で15、16キロ痩せたようです。
身体を徹底的に絞ったようですね。
そこで、強打者としての実力が磨かれて、
「縦振り打法」にも出会いました。
神港学園の北原直也さんが大学時代に考案したという「縦振り打法」
元日本ハムの稲葉篤紀やイチローのV字打法に似たスイングの軌道で、
ボールをたたき、すくい上げるもので、
山本さんには、上手くはまりました。
そして、時は流れて、3年春の明石球場。
当時のスイングスピードはプロの強打者も顔負けの158キロ。
比較すると、
現役ではソフトバンクの柳田が150キロ台後半
松井秀喜の現役時代が159キロということで、
いかに規格外の高校生だったか分かります。
「縦振り打法」によって量産し続けて、
最終的に本塁打107本という記録を達成しました。
ただ、107本の快挙ですが、
一方で、
2ちゃんねるでは、
グラウンドが狭いから、ホームランになりやすかったのでは、
というコメントも多くあったようです。
そういったコメントがあっても、
「開き直って、行けるだけ行ったれと思ってました。
どうせ(グラウンドが狭いからと)叩かれるんで。
試合中は勝つために打つだけ。自分らはグラウンドを選べないので」
という気持ちで、試合に臨んでいたようです。
【幻の一発もあったってホント?】
話は、ここで終わりません。
108号の「幻の一発」もあったようです。
「通算108号を打ったんですけど、雨で流れちゃったんですよ。
5回途中でノーゲームになって。流れて良かったと。
これ以上打ったら、また神港学園が2ちゃんねるのコメントで、
『狭いからや』と叩かれますから(笑い)」
山本さんは、記録を伸ばせなかったのですが、
これを笑いにして語っております。
いいネタですね。
<高校時代のラストサマーは?>
高校ラストサマーですが、
最後は兵庫大会5回戦・社戦に1―2で惜敗。
中学時代のチームメートがいた相手との対戦で
負けてしまったようです。
ですので、山本さんは甲子園出場はないんですね。
【なぜ社会人野球を選んだのか】
高校卒業後の行き先については、プロ志望届は出さず、
恩師・北原コーチが以前プレーしていたJR西日本への就職を決めた。
今の打法では、プロで通じるのか疑問をもっていたから。
「140キロがひとつの基準で、それ以上の球には対応できない。
甲子園にも出場したことがなかったので、
全国の舞台で活躍する投手からは打てる自信がなかった」
「自分はプロでやっていける自信がなかった。
通用するイメージが湧かなかったんです。
打撃には自信がありましたが、守備が苦手でしたし。
未練もなかったです。プロでクビになって仕事がなくなるよりは、
社会人に行けるなら行こうと。チキンなんで(笑い)」
プロでも活躍できるか、不安があったということでした。
また、その他にも母親のことも話されております。
山本さんは中2の時、父親である清潤(せいじ)さんを亡くしております。
母親の幸代さんを楽にさせてあげたい思いもあり、自立の道を選んだようでした。
「母はずっと働きずくめでしたからね。
卒業したら、できるだけ迷惑をかけたくないと思っていました」
「プロ志望届を出そうと思ったこともありました。
でも、もしプロの球に対応できず、首を切られたらそこで終わり。
社会人なら、もし(野球で)ダメでも仕事はある。
高校では無理言って私立に行かせてもらった。
ボーナスは毎週応援に駆けつけてくれる母に、全額送っています」
親孝行の息子さんで、しっかりしております。
しっかり状況を考えた上での就職という選択だったということです。
<社会人野球では>
社会人野球では、
JR西日本では日本選手権にDHで出場。
全国大会の舞台に立てたものの、打線は成績が振わず。
昨秋、引退されております。
それに対して、
山本さんは、社会人通算は5、6本で実力がなかったと振り返り、
自分的にはもう、区切りをつけたと言っております。
これからお子さんも生まれて、
幸せな家庭を築いていってもらえたらと思います。
社会人での主なチームの成績を載せておきます。
2014年 都市対抗野球大会(2回戦)
2014年 社会人野球日本選手権(2回戦)
2016年 都市対抗野球大会(2回戦)
2016年 社会人野球日本選手権(ベスト8)
私は関西に住んでおりますので、
またどこかの「みどりの窓口」で
会うかもしれないですね。
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